ISSUE1 人はなぜ「恥じる」のか ~「恥」を打破する方法~

今日の昼間、こんなことがあった。

 

いつも仕事や作業をするスタバで、あまり「美人」とは言えないものの、チャーミングでかわいい女子大生の店員が、いつもどおり僕に話しかけてきた。

 

相手が就活生で僕が社会人2年目。僕は比較的人当たりが良く、顔も悪くない(イケメンの部類)ので、相手は僕と話したそうだった。いつも仕事や就活について、コーヒーをもらうがてら立ち話をしていた。

 

僕がスタバ外にあるトイレに行ってから戻ると、ちょうどその子(仮にブラウンちゃんとしよう)にばったり会った。どうやらブラウンは仕事が上がったようだ。

 

また立ち話をし、ブラウンが僕ともっと話すことに興味がありそうだったので、僕はスタバの自分の席に彼女を呼んだ。彼女は来た。それで、OB訪問のようなお話タイムが始まった。

 

少し導入が長くなったが、今回起こったことを端的に書くと、そのちょこっと話のあと、僕はブラウンにLINEID(しかも、OneMoreCoffeeレシートの裏、、、)を渡し、しかもその事実がそのスタバの他の店員に知られてしまう。それで、ブラウンからLINEは来たものの、僕が返信しても、その続きは返ってこなかったのだ。

 

これは、恥ずかしい。

 

何が恥ずかしいか。

 

僕がLINEを教えたその相手とうまく行ってないし、なおかつそれを他人に知られていることが、だ。

 

この感覚は、かつて経験したことがある。

 

1.僕が高3のとき、「ゆり」という女の子に告白して撃沈し、かつそれを高校の友達に知られたとき

2.留学中、何百人という聴衆の前で、あまり上手くもないピアノと歌を披露したとき

 

この感覚は、他ならず「恥」というものだ。

 

人はなぜ恥じるのか。

この話のISSUEはそこにある。

 

「恥」は、決して良い感情ではない。

それを抱くと、別の思考や行動など全くできなくなるほど、それに取り憑かれてしまう。

 

よくよく考えると、「恥」以上に、人間が強く抱く感情はないのではないか。

そう考えてしまうほど、「恥」の脳への粘着力は強烈だ。

 

なぜここまで人間は「恥」に取り憑かれるのか。

 

それは、「恥」につながる行動(例:女に手を出しミスってバレること、人前で目立つ何かをすることなど)が、そのまま今後の生存確率が下がることに直結するからではないかと考える。

 

恥の原因=失敗=人に知られては良くないこと=属する社会にとっては都合が悪い、もしくはそれを知られると自分に対しマイナスの感情を抱かれてしまうこと=恨みを買い殺される危険性が上がったり、村八分の原因となること=自分の生存確率が下がる原因

 

というロジックだ。

 

人は生存し、自分の子孫を残すことが命題である(少なくとも生物としては)。

よって、自身の生存を脅かすものに関しては、敏感である。

 

いろいろ書いてきたが、今回のISSUEは

1.「恥」の感情は、その原因となる行動が自身の生存率を下げる故に、それを人間は避けるようにプログラミングされているのでは? 

また

2.避けるようプログラミングされた「恥」をある行動の結果として抱いてしまうと、その後決して同じ経験をしないように、思考の中に残り続けるのではないか

だ。

 

しかしナンパと同じよう、この世の中で「恥」の元となる行動をしても、特に生存確率を下げはしない。というか、全くといっていいほど、今後の自身の幸せには影響がない。

 

今日の件を理由に僕のことを馬鹿にするのは、僕がLineを渡したその女子大生か、その周りで働いている同僚くらいだ。

 

そして、その事実が僕の人生にどう影響するか?するはずない。

 

彼/彼女たちは、僕の人生の中で、微々たる存在だ。例えるなら、受精という「勝ち」掴み取る精子とは別の、「負け犬」として死ぬ何億という精子の中の数匹でしかない。

 

「そんなのは頭ではわかっているけど、やっぱり考えると辛い、、恥ずかしい、、」

 

馬鹿野郎。何のためにお前人間やっているんだ。

 

人間は理性を持つ動物だ。それはいわば、生物としての本能すら凌駕できる、生きる上での別のエンジンを持つ高度な知能を持つ生物だ。

 

本能なんて無視しろ。理性でねじ伏せろ。

 

「恥」なんて今の世の中に似つかわしくないもん抱えて生きてるんじゃねーよ。

 

ダレン