ISSUE 2 Instagram に「日常」を投稿するときの人間の本能 ~僕らはSNSに何を求めているのか~
Instagramを知っているだろうか。
もちろん知っているだろう。最近は、1日のみ公開できる「Story」という機能もある。
僕のもちろん「Story」を使っている。それを使って投稿したことを挙げてみると
・髪切った後の自分の自撮り
・好きなアーティストのアコースティックライブ
・きれいめの景色
・家近くのブルーボトル中目黒のコーヒー
・仕事終わりのビール
・姪っ子
・展覧会のポスター
・おにゅうの靴
・彼女、友達
そんなところだ。
そして、その「Story」を通して、僕は何がしたかったのか。何が欲しかったのか。
今回のISSUEはそこである。
端的に言えば
「いい感じの生活」や、それをしている「イケている自分」を相手に公開し、「いいね」と思ってもらう、言ってもらうことで承認欲求を満たしたいということに限る。
さて、よく考えよう。
これらの行為は、本当に自分の承認欲求を満たせるまでの要因となるのか。
いつも通り、周りの立場になって考えてみる。僕のStoryを見る者の気持ちはどうか。
「あ、なんか出してんなー。自撮りとか、どんだけ自分のこといいと思ってんねん。」
「そこまで良いものでも、見せられてうれしいものでもねーわ。」
十中八九そんなものだろう。
おわかりだろうか。決して僕が承認欲求を満たせるほどの効果や影響を、周りに与えられていないという事実を。
以上。ダレン、Instagramに投稿するのを辞めるの巻でした。
Instagramやる時間があるなら、将来金になる勉強でもして、将来「嫌」って思うほど承認欲求を周りの集まってくる満たしてもらおうじゃないか。
ダレン
ISSUE1 人はなぜ「恥じる」のか ~「恥」を打破する方法~
今日の昼間、こんなことがあった。
いつも仕事や作業をするスタバで、あまり「美人」とは言えないものの、チャーミングでかわいい女子大生の店員が、いつもどおり僕に話しかけてきた。
相手が就活生で僕が社会人2年目。僕は比較的人当たりが良く、顔も悪くない(イケメンの部類)ので、相手は僕と話したそうだった。いつも仕事や就活について、コーヒーをもらうがてら立ち話をしていた。
僕がスタバ外にあるトイレに行ってから戻ると、ちょうどその子(仮にブラウンちゃんとしよう)にばったり会った。どうやらブラウンは仕事が上がったようだ。
また立ち話をし、ブラウンが僕ともっと話すことに興味がありそうだったので、僕はスタバの自分の席に彼女を呼んだ。彼女は来た。それで、OB訪問のようなお話タイムが始まった。
少し導入が長くなったが、今回起こったことを端的に書くと、そのちょこっと話のあと、僕はブラウンにLINEID(しかも、OneMoreCoffeeレシートの裏、、、)を渡し、しかもその事実がそのスタバの他の店員に知られてしまう。それで、ブラウンからLINEは来たものの、僕が返信しても、その続きは返ってこなかったのだ。
これは、恥ずかしい。
何が恥ずかしいか。
僕がLINEを教えたその相手とうまく行ってないし、なおかつそれを他人に知られていることが、だ。
この感覚は、かつて経験したことがある。
1.僕が高3のとき、「ゆり」という女の子に告白して撃沈し、かつそれを高校の友達に知られたとき
2.留学中、何百人という聴衆の前で、あまり上手くもないピアノと歌を披露したとき
この感覚は、他ならず「恥」というものだ。
人はなぜ恥じるのか。
この話のISSUEはそこにある。
「恥」は、決して良い感情ではない。
それを抱くと、別の思考や行動など全くできなくなるほど、それに取り憑かれてしまう。
よくよく考えると、「恥」以上に、人間が強く抱く感情はないのではないか。
そう考えてしまうほど、「恥」の脳への粘着力は強烈だ。
なぜここまで人間は「恥」に取り憑かれるのか。
それは、「恥」につながる行動(例:女に手を出しミスってバレること、人前で目立つ何かをすることなど)が、そのまま今後の生存確率が下がることに直結するからではないかと考える。
恥の原因=失敗=人に知られては良くないこと=属する社会にとっては都合が悪い、もしくはそれを知られると自分に対しマイナスの感情を抱かれてしまうこと=恨みを買い殺される危険性が上がったり、村八分の原因となること=自分の生存確率が下がる原因
というロジックだ。
人は生存し、自分の子孫を残すことが命題である(少なくとも生物としては)。
よって、自身の生存を脅かすものに関しては、敏感である。
いろいろ書いてきたが、今回のISSUEは
1.「恥」の感情は、その原因となる行動が自身の生存率を下げる故に、それを人間は避けるようにプログラミングされているのでは?
また
2.避けるようプログラミングされた「恥」をある行動の結果として抱いてしまうと、その後決して同じ経験をしないように、思考の中に残り続けるのではないか
だ。
しかしナンパと同じよう、この世の中で「恥」の元となる行動をしても、特に生存確率を下げはしない。というか、全くといっていいほど、今後の自身の幸せには影響がない。
今日の件を理由に僕のことを馬鹿にするのは、僕がLineを渡したその女子大生か、その周りで働いている同僚くらいだ。
そして、その事実が僕の人生にどう影響するか?するはずない。
彼/彼女たちは、僕の人生の中で、微々たる存在だ。例えるなら、受精という「勝ち」掴み取る精子とは別の、「負け犬」として死ぬ何億という精子の中の数匹でしかない。
「そんなのは頭ではわかっているけど、やっぱり考えると辛い、、恥ずかしい、、」
馬鹿野郎。何のためにお前人間やっているんだ。
人間は理性を持つ動物だ。それはいわば、生物としての本能すら凌駕できる、生きる上での別のエンジンを持つ高度な知能を持つ生物だ。
本能なんて無視しろ。理性でねじ伏せろ。
「恥」なんて今の世の中に似つかわしくないもん抱えて生きてるんじゃねーよ。
ダレン
ISSUE DRIVEN
こんにちは。
ナンパメンタリストを自称するダレンだ。
ぼくが何者なのか、少し紹介する。
・IT企業の若手営業
・メンタリズムに興味を持っている(人の心に興味を持っている)
・サイコパス気味(他人の感情をないがしろにするのを厭わない)
・生きる目的は、モテてチヤホヤされること
・勉強は好き(自分を高めて、結果モテることが好き)
・趣味は今のところ働くこと
・中目黒在住
・彼女はタイ人(Tinderで出会ってからはや2年)
・友達は少ない(4人くらいかな~)
・尊敬している先生がいる(その先生一回捕まりそうになったけど)
・オシャレが好き(つか、モテそうだから)
こう書くと、なんだか普通?そんな際立つ要素はないのは確かだ。
そんな僕がなぜブログを書くのか。理由は2つある。
①日々のまなびを自省するメディアが欲しいから
②弱肉強食のネットの世界に、まず足を踏み入れたい
上記も平凡。平々凡々
また、タイトルがなぜ「ISSUE DRIVEN」なのかは、最近安宅さんの『イシューからはじめよ』を読んで感銘を受けたから他ならない。
僕は25年前んみこの世に生まれ落ちた。生きている間のISSUEは、どう幸せになるか、だ。そのISSUEのサブイシューに、例えば「モテること」だったり、「金持ちになる」とか色々あると思うのだけど、ここには、僕が考えていることと、そのISSUE、そしてどうしたらよりイケている自分になれるのかをつれづれなるままに書こうと思う。
誰が読むかわからない
誰が興味を持つかわからない
そんな中で本当にブログとして何かを書くことは意味のあることなのか。
それはまたのお楽しみ。
ダレン